ギョーカイ時事放談の生放送を録音しておいたものを今聞いてたんだけど、灰羽連盟のBD Boxの宣伝に絡んでfree birdが流れた。今聞いてもしびれる良い曲だ。そして灰羽連盟の話がぶわっと頭の中に展開して自然と涙が出てくる。ずるいぞfree bird。良すぎる曲だ。


ネットを使った選挙活動というか、ネットで名を挙げた人が国会議員になる(かもしれない)ということで、三橋貴明氏の動向には注目してる。もし彼が当選するならば、知名度を上げる手段としてネットでの活動が有効だという証明になる。そしてネットでの選挙活動が解禁されたなら、今後このような人がたくさん出てくるに違いない。ただし、彼の場合はかなり積極的に日本各地に出向き、従来の選挙活動もしっかり行っている。
他方「もはや初音ミクに投票すべき」みたいな議論もあって、新しいネット時代の政治を考えると私はある一つの仮説を思いつく。
果たして「引きこもり国会議員」というのは成立するのだろうか?
完全にネットだけで活動する人がいて、ネット上でその人の主張がちゃんと理解され、人望を集めれば議員に当選するだけの票は集められるのではなかろうか。むしろネット上ならば、その人の主張に対して様々な反論がされ、(炎上ではない)前向きな議論で主張や政策を強化していけば、党からおしつけられた実現できないマニフェストをお経のように唱えたり、選挙カーやドブ板*1で自分の名前だけを機械的に連呼してるだけの○○チルドレン*2なんかよりも遥かにましな人材が当選するんじゃなかろうか?
いつぞや仕事で朝早く群馬の田舎を走ってるとき、地方議会の選挙だとおもうのだが、候補者が交通量の多い交差点に立って手を振っているという、いわゆる街頭活動を見かけたのだが、当然私はそんな人のことを知らない訳です。多分地元の人でも大多数の人は私と同じだと思う。それを見たときに「はたして私はこの候補者のことをどれだけわかるのか?」と思った訳です。選挙の時期になるとひたすら名前を連呼するうるさい選挙カーも一緒です。名前を覚えてもらうだけでその人の主張やら人となりなんかは全然わかりません。(もっとも選挙なんてそんなもんなんでしょうが)それに比べたら私は三橋氏の主張を無名の候補者よりもはるかに良く知ってますし、国会議員としてふさわしいかを判断する材料もいっぱい集められます。そういった意味ではネット上での活動は政治をより理想に近い形で運営していく上でかなり有効な手段、メディアだと思っています。


さすがに電話やネットがこれだけ発達した現在でも「人と人が直接会う」ことが持つ意味は、はるかに大きいので「百聞は一見にしかず」と同様に「百ネット交流は一オフ会にしかず」だとおもうんですが、もし私が小説家だったら、「引きこもり国会議員」が誕生するまでと、当選した後の活動の様子などを描く小説を書いてみたいと思っています。

*1:ドブ板選挙の意味を間違って使ってました。戸別訪問に近いのね。むしろ名前だけを連呼する活動の対極だわ。

*2:小沢でも小泉でもフラワーロック隊でもお好きなものを当てはめてください