iPhoneSDKの資料を読んでいてふと思った。どうして毎回プリントアウトして紙で見たくなるんだろう?特に本気でまじめにじっくり読みたいと思う文書ほどそう思う。自宅にあるプリンタがピンボケな印刷しかしない、しかも印刷コストの高いインクジェットでなく、高速に精彩なプリントアウト(出来れば両面)が出来るレーザープリンターだったら毎回印刷してるところだ。(まあそのおかげで地球環境には優しいのだが)


同じ文書でもPCのディスプレイで読むのと紙で読むことを比べると、単位時間あたりの理解度、速度、また手軽さ等で圧倒的に紙に軍配が上がる。この紙とディスプレイの間に横たわるとてつもなく大きなギャップを埋めることが出来たら、PCがもっと有効な思考のツールとして使えるに違いない。現時点だってPC上のドキュメントの方が検索の容易さ、他資料とのクロスリファレンスが簡単、動画メディアなどマルチメディアを埋め込むことが出来るなど、紙を圧倒する機能はそなえているのだ。


以前は、紙とディスプレイの解像度がその違いの主たる原因だと思っていた。ディスプレイが14インチが主流で72〜96dpiで1024*768ドットという時代ですら、プリンタは1200dpiを軽々とたたき出し、単位面積あたりの情報量は圧倒的に紙の方が多かった。それがぱっと見たときの理解度の差になってるんだと思っていたのだが、いまや画面の大きさは23〜27インチ、1920×1080は当たり前、A4を等倍でディスプレイに表示できますなんて時代になっても、相変わらず紙の方が理解しやすい。


いま思っているのはPCディスプレイはきちんと机に向かって座ってディスプレイとの距離もある一定の距離をおいて眺めなきゃいけないのに対し、紙はどこへでも持ち歩けて、ソファーでくつろぎながら読んだり、ベッドで寝っころがって読んだり、近づけたり遠ざけたり、さらには書き込みできたりマーカーを引いたりとか(私自身はほぼそういう精読的な読み方はしないが)自由自在に読めるところが理解度の差になって出てきてるのではないかと思っている。iPhoneを使うようになってネットサーフィンがいろんなところで出来るようになってその考えは補強された。ただiPhoneは圧倒的に画面が小さいのが欠点である。じゃあもっと画面の大きいノートPCならどうかと言われると、どこでも持ち歩く、手軽に片手に持って読むことが出来るという面で全然ダメ。
そういった意味で、今この紙とディスプレイのギャップを埋めるのに一番近いのはiPhoneをでっかくした形でのタブレットPCなんじゃないかと思う。ということでAppleタブレット型デバイスに大いに期待をしているのだが。まあいまiPhoneのプログラムに熱を入れてるものの、本命はそのタブレットが出たときだと思ってるんで。