(よみがえる空)

第一回目の放送のときのどこかの感想に「能登声の彼女がいる時点で勝ち組」というのがあったが、今回高校のときのシーンでポニテ読子さんが出てきたときにそう思った(w
あと一瞬でも夜のシーンがでてきてあえぎ声が出てきたら激しくそう思ったに違いない(笑
(ちなみにこの前後で実況鯖が落ちたらしいw)
今回のめぐみさんの演技はそんなに能登能登してなくて良かったと思う。
これで初見で(初聴で?)のとまみだと気づかれないレベルにまで行ったら汎用性が出ると思うのだが。
って、これ能登アニメじゃないんですけど。>自分
追記:のとまみファンはこちらもチェック
http://blog.livedoor.jp/blur66430/archives/50318512.html
http://blog.livedoor.jp/yomisora/archives/50227959.html


主人公が立ち直るプロセスも作ったような劇的なイベントがあって立ち直るのではなく、日常レベルのことの積み重ねで立ち直って言ったのが良かったと思う。
たぶん主人公はあの瞬間まで「なんで俺がヘリなんじゃ」と声に出して表現したことがなかったんではないかと思う。
そして「救難におったら当たり前に出会う出来事じゃ」のときに初めてあの少女の死が特別なことがあったために起こったことだったのでなく、あたりまえに起こってしまうことなのだというのがすとんと胸に落ちて、
自分がなんでもないこと(表現が上手くないが、ありきたりのこと?)で落ち込んでいたんだということがわかったのではないかと思う。
だからこの先も同じようなことは普通に起こるわけで、それゆえに自分の中で折り合いをつけていくか、処理されなければいけないことであって、
また普通に起こってしまうことゆえに、そうなる確率を少しでも減らすために現場で確立された手順の確認の重要性や、とっさの判断(応用力)の重要性やら、普段の訓練の大切さなどに主人公はこの後気づいていくのだと思う。


「おえん」は(知らない場所なんで)「追えない」だと思ってたら岡山の方言なのか(「いけない、だめ」という意味らしい)
あえて「内密に」といわなかったほうが被害範囲は少なかったかもしれないと思うのだが。
もしかするとこれは、地方においてはちょっとしたイベント(真新しいこと)があっという間に身内に広がってしまうという、田舎固有の「世間の狭さ」、「噂話がすぐ広がる」、「隣が他人ではない」社会のことを表現したものなんだろうか?


いや、久々に内容のあるアニメに出会ってよかったと思う。今期見続けるのはこれだけだな。