前半
だからARIAの不思議猫ワールドの世界(特にケットシー落ち)は私は好きじゃないって。
実は出だしのところ見てないのだがアリスちゃんのスク水シーンがあったのか。
いまから見直さねば!(w


後半
あれー?夜光鈴の話って一期に無かったっけー?
なんかすっげー感動した話だったような記憶があるんだけど?
その脳内話と比べると、なんか素敵成分が弱かった気がする。
まあ勝手な脳内話(多分原作の記憶をアニメ版の要素を使って、トレースON*1したもの)と比べられても困るだろうが、どうも最近ARIAには生活感が足りないような気がする。
お前ら素敵な日々ばっかりで、普通の日は無いのかと。
日ごろの生活だとつまらない普通の日常対素敵な(非)日常の割合って100:1くらいだと思うんですが(この比率をたとえ話で出すときにどういう比率で出してくるかで、その人のいわゆる一つの素敵指数、もしくは楽観的か、悲観的かを示す数値として使える気がする。私は100:1〜5くらいだと思うんですが、ARIAの人たちは10:1,灯里に関しては3:1位のような気が)ARIAの世界の場合、その少数の素敵の日ばっかり集めて話を作るもんだから、こんなにしょっちゅう素敵ばっかりにであってて、素敵なれ(擦れ)してしまって感動量が落ちちゃったりしないんだろうか*2?とか勝手に思っちゃうわけです。
ああ、それでも毎回初回のような感動ができるからこそ灯里ちゃんなんですね。


ああ、あといくつか「タント・グラッツェ」の台詞をトリガーに、夜光鈴が落ちるのはおかしいと思った。
それじゃ明白に夜光鈴に意思があるだろう。自然に落ちるもんじゃないの?
「アウグリーノ・ボナーノ」などもそうなのだが、ふだん日本語で生活してる割に決め言葉がイタリアンなのはどうなのよ。
もしかするとあの世界ではイタリア語が標準語で、私達はそれを吹き替え状態で見てるだけなのかもしれないが。

*1:Fateネタ、妄想再構成のことw

*2:例えばARIAという素敵世界の中にいるにもかかわらず、そのことをあまりありがたがってない作中人物、藍華やアリスのように^^; ああ、でもそれに気づかないことこそ最大の贅沢、しあわせなのかもしれない。