(よみがえる空)

感動した!停電の町の中、車を並べて誘導灯と着陸地点を照らしている光景に。
結果は残念なものには終わったが、そこに至るまでの経緯すべてにおいて
自衛隊側、民間側のどちらも、なんとしても人の命を救おうとうする人々の強い意志が感じられてよかった。
なんつーか、その意思と行動がある限り、人が人を信じられるというか。


一つ一つの小ネタが、どれもこれも実際にあったエピソードなんだろうなというのを感じさせる重みがあるよ。
(話全体としてはそれぞれ別件であったことの組み合わせなんだろうけど)
ギリギリの燃料で、救助の可能性と、ヘリ安全との間でのせめぎあいとか。
引き返すという判断も単純なものではなくて、乗員8人分の重さのある決断なんでしょう。
しかもぐずぐずしてられないし。
よく、登山とかで降りる判断、引き返す勇気というやつを言われるが、あの場で引き返す決断ができるからこそ、命のかかる現場で今まで生き残ってきたし、隊長職としてやっていけるんだと思う。


ま、それに関して海上自衛隊の船が近くにいたのは出来すぎだが、そりゃまぁ話をおもしろくするためね。
現実には99%まで近くに船がいるということは無いと思う。(特に単独災害の場合)
フィクションだと他人の危機に都合よく一瞬で助けが現れる話とか作っちゃいますけどね(え、平成ラ…とか言いませんよw)
でも、それも一人の命を救うために各所が連携協力するという図式を表すためのウソ(演出)なわけで、こういう話の展開上でのご都合主義というのはありだと思う。
それにしたって条件悪い中、ゆれる甲板(波が高いと平気で4〜5m上下するんですよ?)に着艦する危険を冒すということがあるわけで、ここでも決行・中断の決断を突きつけられるし。
それだけ全力を尽くしても、ありとあらゆる困難とコストとリスクを払っても、救難の場面においては命が助からない場合があるというのは、フィクションの中には無い現実の重さというものを感じさせてくれるのです。
(つーかさ、フィクションを作るなら、せめてこういう話の2/3くらいの重みのあるものを作ってほしいと思うわけさ)


葬儀屋を殴るのは行き過ぎかもしれんが、実際いそうだしね。
結局主人公は少女の両親に再度あってなんか話ししたんかな?ああいう事件があってうやむやになってしまうというのも、まあありそうな展開か。


ネコを連れ帰った判断や行動が正しかったのかとか、またそれを単純に責めることができるのかとか難しいところですよね。
少女の連鎖反応がなかったら今度は単に美談で終わる可能性もあるわけで。
命がかかる現場というのは、そういう現実を次々に突きつけられていく場なんでしょうね。


いやこれはいい作品になりそうですよ。