あきらと明日夢が隣同士に並んでいて、
もっちーがその反対側にいるという図式は斬新だった。
ああ話しながらももっちーは心の中で
明日夢の隣は私の指定席なのよ!」という怨念がどろどろと渦巻いているに違いな… (w


日菜佳さん、脇でうるさすぎ(w
トドロキでなくても、後できてくれになっちゃうよ?
まあ一応振り方が希望を持たせる形だったのでよしか。


結局トドロキを救うのはザンキさんなんすか。
俺がそばに居てやるという人が死ぬようなことやってたらだめッスよ。
(あ、やべぇ、某所での口調が…)


とおもったら一応ザンキさん死なない決意はあるんだな。


(素人でも)式神を操るって、そんな便利な攻撃兵器が。
魔化魍に対しては効かなそうだが、(基本的に魔化魍は音撃でしか倒せない)
DAが時々やってるように、魔化魍の注意をそらして隙を作る、
一瞬の時間稼ぎをするとかの用途には使えるんだろうな。
そういった応用力(発想力)を身に着けるための手段と、
あと、こういった攻撃兵器を持っているんだという緊張感(物品管理)と、
(安易な攻撃兵器をもっていても)暴発しない平常心を
養うのが目的なんだろうな。


ええっ?
ザンキさん死亡っすか。
そしてトドロキの元に魂が別れに来た?


でもED後のマジレン二人組みの感想シーンでの
スモーキーのイブキがおっちょこちょいという結論は吹いた(w
あの絵の見せ方だと、ザンキさん復活には腕に梵字見たいな物を刻んだあの儀式が関連してそう。


予告編でネタバレするのはたいてい興をそがれるものだが
(例:http://blog.livedoor.jp/warata2ki/archives/50018771.html
現在の響鬼に対しては手法の一つとしてありじゃないかと思った。
もし、今回の話のようにザンキさんの死を描いておいて、
予告編で一切来週の復活を描いてないで、いざ来週、(一週間やきもきさせられた挙句に)
「実はびっくりでしたー」という形で話を作るには相当話に説得力を
持たせないといけないのと、しかもその大どんでん返しのストーリーを
30分の前半あたりに描ききらないといけないわけですよ。
今の響鬼にはそれをするだけの技量は無いと思います。


それを今回予告編で見せたように、ザンキさんが平然と生きて動いていたり、
あまつさえ、再起不能、絶対に鬼にはなれないといわれたトドロキ君が走って
鬼になろうとする画まで見せておいたら。


視聴者は「なんだやっぱりザンキさん生きてるんじゃん」、というのと、
「トドロキまで復活するらしい?」という知識をもって、来週の話を見るわけですよ。
それがどんなに(今まで、および今週の表現からすると)無茶、無理な展開であろうと
結論を先に知っちゃってるわけで、一週間の間に心の中で(無理なストーリーを)
受け入れる心の下準備ができちゃってるわけですよ(w


そうすると、次週を作る側とすると、びっくりのための仕掛けを順序正しく
きちんと丁寧に描く必要もなく、話にしっかりとした説得力を持たせなくても
今週の地点から、来週の結論地点までの途中の点を簡単に補間してやれば
それなりに納得しちゃうわけですよ。
(だって一週間も前に無理やりな展開を受け入れさせられてるんだもん)


これが予告編で一切そんなことを描いてなくて、30分で同じ結論に達したとしたら
そんな展開ふざけるなとか、話に説得力が無いとか、唐突過ぎるとか
もう見てるほうはきっと大騒ぎですよ。
だから、今の響鬼に限って言えば、予告編でのネタバレは、これも一種の表現手法として
「ありだな」(c)艦長@ぱにぽにだっしゅ! と思う。


まぁそれでも「こんなこともあろうかと」のために今週ザンキさんの
炎の前での妙な儀式など、布石は打ってはあるんですけどね。


追記:
公式とかめぐってきた。
ええっ、あの高校生は死んでたの?ダメじゃん、殺しちゃ。^^;
未熟なうちは武器の使い方(含む倫理面)がわからなくて、誤った使い方で
事故とか起こすかもしれないが、鬼を育てるために、一般の人の命が犠牲になっても
必要経費として黙認されるというところまで、世界は腐っていないだろう。
でも実はあれは桐谷と死んだ奴がもめてるところに突如出てきた魔化魍の仕業で、
桐谷は単にその場から逃げただけとかいうオチにしそうだな。


あと、ザンキさん蘇りのネタ晴らしもしてましたね。
まあ、来週のタイトルからしてネタバレしてるからいいか。