(機動戦士ガンダムSEED DESTINY)

一応新作部分もあるので、完全な総集編ではないような。
死人の日記をのぞくという悪趣味な形で進む。
でも痛さの演出としてはいいかもしれない。
そんな中で、自分の名前が出てくるってのはどんな気持ちなんだろうか。
しかし、そんな中を読まれたら困るような日記を常駐で持ち歩いてたのか?


アスラン有名人。へたれだけどな。
でもその頃はもう堂に入って演技してたんだと思ってたんだが、
内面はそうでもなかったのか。


声より胸のほうが民衆には届いてたのでは?
ハイネの死とミーアの回想となんか関係あるんですか?
トダカさんの死と…(以下略


議長演説開始。でも子供に分かるレベルで議長が胡散臭いとか、
そういう風に描いちゃうのはだめだなぁ。
なんだったら、徹底的に分からないように描いて、
視聴者を巻き込んでデュランダルは善か悪か、正義か私利私欲の人なのか
議論が巻き起こるようにつくってくれたら神なのに。


ディスティにープランを導入するための代償として、過去の戦争被害というのは弱いなぁ。
プランを強引に導入することを一般人に納得させる理由としては、まだまだ。
つーか、ディスティニープランが何なのか、一言も説明してませんけどね。
どれだけ優位性のある、効果のあるものなのかがまだ分からないし。


たとえばプラント(の一部)がすでにディスティニープランに基いた
実験生活圏を作り上げており、そこでの成果が具体的に示されるならば、説得力もあるのに。
例えば、レイやシンがその産物で、ほらこんなに効果的に戦闘ができるんですよとか、
言えるんなら説得力あるのにね。
例えばシンレイの2機が出てれば、オーブ軍も壊滅状態だし、
レクイエム争奪戦もあっさりと勝てますよとか、
ラクスの歌声も、そのカリスマ性もディスティニープランの成果ですよとかね。


しかし、物語の半分を過去シーンに頼るというのはどうにかならんのか。
たとえば、手塚がアニメの動画枚数を減らすために、フレーム数を落としたというのが
後に手法として確立するように、半分近くを総集編で作るというのは、
100年後には立派な手法として確立してるのかもしれないが、
(総集編方式を取り入れることによって、新作部分の製作を最小に押さえつつ、
 放送時間をつぶしていくという手法は)
わりいけど、現時点では認められんわ。
新しいものを受け入れられない、新しい価値を分かろうとしない
オールドタイプと呼んでもらっても結構です。


SEEDをファーストと誇称する世代が世の中を動かす年代になった頃には
それでも受け入れられちゃうんだろうな。
重要なシーンは何度も出てくるのでわかりやすいとか、一回見逃してもほぼ大丈夫とかいう理由で(w


当面他所様の検索範囲を、自分のお隣日記に限定します。


戦時中にあののーてんきは凄いや
人の物を勝手に読むその神経が分からない。
http://d.hatena.ne.jp/wolfhearts_t023/20050910#p1
何だ,この幸せ探しは
そのときにシンはどうするのか?状況に流され続けているんだよな。
http://d.hatena.ne.jp/Moriyama/20050910/p2
世界平和なんて「エゴだよ、それは!」と…
これが視聴者のデスティニープラン。…それは制作者のエゴ(不手際)だろぉが!
別に託された訳でもない*1のに日記を読み
http://d.hatena.ne.jp/manpukutaro/20050910#p1
この話は最低でも5話前にやっとくべきだったはず。
http://d.hatena.ne.jp/kontsuyo321/20050910#1126344584
アストレイ的なMSの使われ方
「父を裏切ってラクスと共に起った」と認識されている事を知って大笑い
http://d.hatena.ne.jp/syousa/20050910/1126346709
むしろ陰陽大戦記の方がメイン
http://d.hatena.ne.jp/itashin/20050910/p2