するがモンキーその弐
やっぱりキャスティングうまいわ。神原が語っているうちに熱くなって感情がこもってくるあたりを見ながら思った。さすがみゆきちだ。
冒頭に戻るが、戦場ヶ原は攻略した後も難しい女だw
そして場面が変わるともう神原の家を訪問しているシーンになる。たぶん原作でも途中をすっ飛ばしてそうなっているのだろうが、その省略と、なんでもなさ感が阿良々木の回復力とか、怪異に対する適応力の高さを逆に暗示していると思う。見事な表現だ。
神原の部屋にあふれる本を水に見立てて、水辺ではしゃぐ恋人たちのようなシーンを作っていたのが非常に面白かった。これも原作にある表現なのか?アニメオリジナルならばそのセンスに脱帽だし、原作にあるなら、いよいよ原作を読むのが楽しみになってきた。(完全初見状態を作りたいのでアニメ終了までは原作および情報収集を自粛中)
場面は忍野のところへ行く直前あたりまで飛ぶが、阿良々木くんはどうしてそんなにフラグが立つ体質なんだ?そういえば、たまたま同時にやっている絶望先生糸色望もフラグ立ち体質だなぁ。恋人が戦場ヶ原ほど複雑で脅威でなければ、おいしく据え膳をいただくところなのだが。真性レズの場合男とは嫌悪感故にいたせないのではないかと思うのだが、神原の場合は自分が阿良々木とBLを演じているのだと言い聞かせてその辺折り合いをつけるのだろうな。
そして忍野と対面して怪異面での解決編に入っていくわけだが、また次回への引きがうまいなぁ。
ところで今までの感じだとラスボスはどうみても羽川なのだが、今回の解決編にもからんでくるんだろうか?でもよく考えれば前回の電話があるからもう今回の話への絡みは終わってるのか。