見た。出だし時間忘れてたのと、録画用PCが高負荷だったので、途中録画エラーして、後半30分くらいしか録画できなかったが、大体見れた。
なるほどあのお歳であそこまでの高音を出すのは厳しそうだ。
例えば数年前に行った沢田研二のコンサートでも、声の張りと滑らかさ、高音の伸びやかさは失われていたわけだが^^;
あと、やたらステージを走り回るというのも共通してて、たぶん体力的な衰えを感じるとそれを否定するために走りたくなるんだと思う。
(私も最近積極的に運動しなきゃとは思い始めてる。)
沢田研二のコンサートも、ボーカルに強めのエコーをかけて高音の伸びを延々と発声しなくても、一瞬発声すればあとの伸びはエコーでそれらしく聞こえるようにごまかしていたが、小田さんそういう補助手段(ごまかし手段?)自分で認めないだろうなぁ。
リハーサルでのオクターブ下げた歌い方、本当はそういう歌い方に変えてのどを保護するべきだと思うんだが、無理だよなぁ。小田さんの歌はあの高音が味なんだもの。
コンサート会場に「おじさん」が増えてきたのは私のようなおじさんでもコンサート行きやすくなったということだろうか?そのうち男女比が9:1くらいにまでなったりしてな。
演歌じゃなく、(かつて言われたいわゆるニューミュージックの人たちで)あの年で現役で歌い続けてそれでなおかつ同世代に(も)支持されてる人というのも珍しいとおもう。
多分とちっても、無様でもそれをありのまま見せるんだという決意があって、お客さんもその努力してる姿を見に来るんだと思う。
でも新しく作る曲が微妙に音程低いところで作られてるので、本来はそういう歌にシフトして行って、昔の歌は封印するべきでは無いかと思う。
うーん、若い人で小田さんの歌を引き継げる人は出てこないだろうし、市場が受け付けないかな。
かつて、小田和正は世の中の名曲を一度歌っておいて、歌い手としての小田和正の曲を世界資産として残しておくべきだと書いたが、今からではもう遅いようだ。
(まあ、全部見て無いが月曜組曲とかがその役目を果たしたのだと思う)
あとは、老いて行く姿を、どのように美しくすばらしく老いて行くかをみんなに見せる役どころになってきてるのかもしれない。
それは老いてなお昔の曲がこんなに歌えるよという過去の栄光ではなく、老いてなおこういう曲を書き、歌っているんだという現在進行形の姿、そしてまだ新しい曲を作っていくんだという未来へ対する姿として描かれるべきなのではないかと思うのでした。